金曜日, 11月 30, 2007

結婚式



冴え渡る快晴のもと、結婚式をした

大勢の人に助けて頂いて、見守られて。
場所は八幡町願蓮寺。
真宗に沿って生きてゆきたい、そう願う二人で決めた式場。
住職をはじめとし、わざわざ私たちの為に、忙しい中ご尽力くださったみなさん。
百度感謝の言葉を申しても、到底気が済まないから、これからの私たちの生活を通して、お礼をしてゆきたい。
結婚、二人、南無阿弥陀仏。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。



式の様子を載せているブログをご紹介します。
山と川の学校校長みっしーの「明宝つれづれ日記」
結婚式
http://gazoo.com/G-BLOG/MEIHOH_MURA001/40307/Article.aspx
練り歩き
http://gazoo.com/G-BLOG/MEIHOH_MURA001/40320/Article.aspx

木曜日, 10月 04, 2007

UT GRAND PRIX

ユニクロのTシャツ専門サイトUT。
そこでTシャツコンテストが行われている。
デザイナーからの公募13,000点から1,000点に絞られた。
それから一般ユーザーの投票によって、100点が選ばれる。




私もデザイナーとして参加。
最終選考に選ばれると期待できない作品だけど、何か、人に伝えられるきっかけになる。
そう思っている。

私のTシャツは、鍬(くわ)。
メッセージは、「耕すのか、滅びるのか」。

日本の食料自給率は40%を切って減り続けている。
農薬や化学肥料を使わない、安全でおいしい野菜は一部の余裕のある人たち(または思いがあって行動している人たち)の口にしか入らない。
日本人は土から離れ、その手で食をつくることから遠のいた。

人間は自分が思う以上に、感覚的に生きている。
土から離れた街では、食べ物と自分との繋がり、いのちの繋がりを忘れてゆく。
スーパーに並んだ野菜の値段を見て、比較し、その価値を決める。

「こっちが安いし、ジャガイモより、トマトが食べたいな。」
トマトは夏野菜。
旬のジャガイモより、ムリして育てたトマトがおいしいわけない。
近所で穫れたやさいより、海外から頑張って運んだ野菜がおいしいわけない。


話しは飛ぶかもしれないけれど。
自然環境を守るってことは、そのバランスの中に生きるということ。

春は山野草を食べ、夏はナスやピーマン、キュウリを食べ、秋は小麦やジャガイモを食べ、冬に大根白菜を食べる。
遠くまで車に乗ってテーマパークに行くのではなく、近くの海や川で泳いだり、魚とったりする。夏の暑い日には木陰で涼み、川で泳ぐ。
冬の寒い日にはみんなで集まって鍋でもつつき、酒を呑む。

自然環境は、私たちのすべてと繋がっているから。
それは保護するもんでもない。
きっとエコロジーとかリサイクルでもない。
繋がりを断ってはいかんっちゅうこと。

それに気付くべく、鍬を持って土を歩こう。

水曜日, 9月 12, 2007

鮎の里

ここ郡上には「イカリ」という、鮎の漁法がある。
1m前後の鉄の棒の先に漁船のイカリ型の針がついていて、それで魚を引っ掛ける。しかし、鮎はアマゴやヤマメより速く泳ぐ魚で。危険を察知した0.2秒後には、水中メガネの視界から消え去る俊足の体を持つ。

そんな魚をどうやって獲るかというと、夜。

ちょうど晴天。
漆黒の川原から空を見上げると、天の川までハッキリ見える満点の星空が谷間に渡っている。
左手に唯一の光源、防水懐中電灯。
右手にイカリ。
全身ウエットスーツに腰に魚入れをぶら下げて準備運動。

ゆっくり川に身を沈める。
じわじわウエットスーツを通して冷水が体に染みて来る。
鮎は夜中でも「瀬」と呼ばれる急流にデカイやつがいる。
サッと一度だけライトを照らす。
ギラっと4、5?
魚影が光る。
急流の泡蔵のなか、踏ん張って流されないように、ライトは極力差さず忍び寄る。
闇と光の中間で、ほんの微かに鮎の魚体を見て、動きを予測して6割運に任せてイカリを引く。
ビビっと右手に伝わる感覚。


1時間で天然郡上鮎が15、6。
いつも寝る前に瞼を閉じると、鮎の陰影が目に浮かぶ。

水曜日, 6月 13, 2007

たまてばこ

釣りをしているときの時間の流れは速い。
とい言うよりも時間という概念がない。


思いきって3連休をとった先週末。
ずっと釣りに行こう、とことん釣りしよう、ってマジで決めていた初日は、雷雨。
それでも行ったけど、大雨で刻々と増水する水量(福島では釣人の車水没)。
さらに、どこかの著名人の結婚記者会見ごとき、断続的な閃光。

近代の釣竿はハイテクで、長く軽くねばりがあるカーボン(炭素繊維)素材だから、伝導効率が超よい。
だから、雷の日は釣り厳禁だ。
次の日も降り続く雨にいら立つ。

しかし最終日。
予報は曇り。
遠足前の小学生みたいにドキドキして、前の晩2時に寝たのに朝5時前には目がさめた。
耳を澄ます。
雨、やんでる。

速攻着替え、竿やビクやその他もろもろの機材はとっくに準備してある車に飛び込んで。

釣り場への道の途中でコンビニへ寄る。

こんな早朝だというのに、フィッシングベストを着たおいさん達(60代)が、朝のコンビニにウロウロしていた。
そっか、今日は鮎釣りの解禁日。
僕は渓流釣りしかできないけど(今の所)。
熱い缶コーヒーとチリドッグをレジに出しながら、おいさん達を横目で見る。

渓流釣りや鮎釣りをしない人にはちょっとわからないだろうけど、
おいさん達の、無表情に朝メシを選ぶ横顔にひしひしと伝わる『熱さ』。
なんて言ったらいいだろうか、このカンジ。
べつに熱く朝ご飯を選んでるわけじゃない。

渓流釣り(アマゴを狙う釣り)や釣りには禁漁期間(釣ってはいけない期間)がある。
それが終わった日(解禁日)は、ずっと、何ヶ月も前から釣りてーつりてーって想いを馳せていた、その想いが果たせる日。
だから、おいさんたちの言葉や、行動や表情になくっても、なんかひしひしと伝わってくる。
それは目に見えることじゃない。

いい大人がさ、目を輝かせて、朝真っ暗なうちから起きて真剣に遊びにいく。
もしかしたら眠れなかったかもしれない。
ずっとこの日を楽しみにしてたんだ。
自分と同じように。

僕はそんな、釣りってもんが好きだ。
そんな人達が集まる、この川が好きだ。
そんな、この暁が好きだ。


霧で霞む釣り場について、竿を伸ばし、準備してあった仕掛けを結ぶ。
次にえさ取り。
アマゴは川の石の裏に住んでいる「川虫」がダントツ釣れるので、必ず、ほんとは前日なんかにその虫を獲っておかねばならない。

エサをつけ、仕掛けを振込み、何度か仕掛けを流したあとに、またエサを付け替えて振り込む(川虫はすぐ死んでしまい、死んだ虫を魚は食べない)。
何10回も、何100回も。
釣り場を点々と移動する。
ぽつり、ぽつりと魚が釣れる。
アマゴという魚はとても美しい魚体をしている。
とくに天然のアマゴは純銀に濃紺パーマーク(斑点)が、展示用のサファイヤより遥かに深い。


すこし経って、なんか腰がいてーなっと思う。
ぽっけにしまっていた携帯を出して、ついでにタバコを噛みながら時計を見る。
時刻は午後4時を過ぎていた。
そろそろ昼かなーって思ってた。
10時間近くも、飲まず食わず、休み無く。

釣りっていうもんは、時間の外にあるようだ。

土曜日, 6月 02, 2007

里山の袋夏号


『季刊 里山の袋』夏号が発行。
岐阜県・郡上の里山の魅力を伝えたい、と願う冊子。私も1-2pと表紙写真を担当。
表紙は八幡町島谷の井戸。
現在も使われつづけている。

川遊びや郡上踊り、そして畑。郡上の夏に触れられます。


興味ある方はHPをご覧ください。

月曜日, 5月 14, 2007

ことば


『狩人と犬、最後の旅』という映画。
友だちにススメられてDVDで観た。
すごくよかった。

ストーリーは、夜の雪のようにしんしんと続く。
舞台はロッキー山脈。
太平洋上の小舟のように、雄大な自然の中でポツンと生きる猟師の話し。
真冬マイナス40℃の世界へ、犬ゾリに乗って猟や漁にでる暮らしの息づかいが、リアルに聞こえてくる作品だった。

恋愛やサスペンス、友情物語とか正義とか。
一切なくて、「きっと売れないよね、この映画」そう思われる、いい映画。

ウツクシイシゼン。
夜空を覆うオーロラとか、真っ白な地平線に沈む夕日はきれいだけど。
そのなかで髭は凍ってるし、視界ゼロの吹雪で死にかけるし、湖の氷が割れて落ちるし。
主役のおっさんは、いつも厳しさに吹かれていた。

おっさんの台詞は、人と話すより(犬ゾリの)犬との会話のほうが、まったく多かった。
山小屋(手づくりログハウス)で二人暮らしの奥さん(ネイティブアメリカン)。
登場するたび台詞は「いってらっしゃい」と「気をつけて」。
だからこそ、なにか、が伝わってくる(気がする)。


僕らは伝え合うことが大事だ、言葉にすることで救われている。
けれど、ウサギやカリブーだって、木や草だって、伝え合っている(気がする)。
足音から、匂いから、目元から、息づかいから、そこにおるってことから。

だからいつもみたいに、そんなにたくさんの言葉は、必要ないのかもしれない。

水曜日, 4月 25, 2007

体の中でか、心でか、竜がのたうち回る日が有る。
不安と悲しみ。
吐きそうなくらい。

理由は大したことじゃないけど。
例えば忙しさに追われたり、うまくコトが進まなかったり。
人と、通じなかったり。

理由なんて、どうでもいいけど。
問題は、のたうち回っているやつ。
どうにもならないから、酒。


不安や悲しみは、自分で創り出したもの。
いつも相手や周囲に過剰に期待して、思い込んで、解ってるふりをしている。

いつも通りに。

水曜日, 4月 18, 2007

世界


絶え間のない日々。
誰もと同じように仕事に打ち込む。
よくある話し。息もつけず。

迫り来る〆切、喩えれば北海道の遥かなる直線道路に目覚まし時計が20m置きに、それも延々とあり、昔のながらのケタタマしいベル、次々に止めなければ、先をみる、等間隔に蒔かれたごま粒のように続く目覚まし、走って、銀色のスイッチを叩いていく。


思い立って、外で寝ることにした。
奥山の斜面にぽっつりある、古い空き民家の庭にある松の木の下で。
長いこと使ってなかったテントを貼って、シュラフをひく。
ヘッドライトで照らしながら、コールマンのバーナーに100均の土鍋で、野菜うどんをつくる。

辺りはまったくの暗闇。
もう春なのに、白い息。
ひとりぼっち。
ライトでおぼろげに光る古民家の窓ガラス、超こえー。

「見ちゃいけない、絶対でる。」
幽霊なんか、信じちゃいないけど、でも、でるよ、ぜったいやばいって。
おもいっきりリアルな恐怖が僕の中にあった。



リアルか、そうじゃないかなんて、想像以上に実質の無いものなんだ。
「僕らは死ぬまで、自分の世界から一歩も出られない…」
マスターキートンの話し。
ときにごま粒のように小さく、そして宇宙よりも広い自分の世界。

星空の下は寒かったけど、すごく良く眠れた。

月曜日, 3月 19, 2007

里山|黒のアーカイブス ar.5


「乗性寺:正門の鐘」
郡上にはお寺が多い。
僕はお寺が好きだ。

僕は南無阿弥陀仏だけど、信じることは別としても、お寺はすごくうつくしいと思う。

最高水準の日本建築。
梁は太く、黒い。
力強くしなやかに、大きな屋根が広がる。
瓦は印がはいって、年月と共にひとつひとつ重厚な色がある。
木壁の装飾は菊や蓮など、こまやかに彫ってあったりする。


京都、東本願寺の大門に、その工芸に見とれて夜中立ち尽くした。
本当に見事な彫刻。
職人の、そして人々の想いが、刻まれている。

火曜日, 3月 13, 2007

里山|黒のアーカイブス ar.4


八幡|雪中梅花』
ちょうど梅満開のころに雪がふりつける。
夜になっても止む気配がなかった。

月曜日, 3月 12, 2007

里山|黒のアーカイブス ar.3


大和の山奥、亀尾島川上流。
黒のアーカイブス3枚目、『内ヶ谷|満月の木々』。

釣りに夢中になって、いつしか暮れ行く谷。
街灯も民家もない、ほんとの山奥。
闇が迫るのもわからなかった。

夕暮れのあと、星より先に月の光が空を満たしていた。
空と森が異様に明るくて、無事車まで歩いて帰れた日。

日曜日, 3月 11, 2007

里山|黒のアーカイブス ar.2


『明宝気良|名残雪』

春先、突然の雪。
畦の草や、植木の葉に、うっすら積もってすぐ消えた。


すこし前まで連日、5月か、ってくらいの気温だったのに。
気圧配置が西高東低冬型に変わったらしい。

でも、本当にもう名残り雪だろう。

過ぎ行くものは、いつだって美しく見える。
ここは、気良唯一の喫茶店「珈琲館」の窓からの里景色。
いつも深く暖かいコーヒー。
いつもよりもっと、そう感じた。

金曜日, 3月 09, 2007

里山|黒のアーカイブス ar.1


とうとう、何やら僕なりに決心。
"里山フォトグラファー"を自負して1年。
「素人が、なに生意気ゆうとるんや」
自分の声が聞こえる。

でも、写さなければ何も伝わらない。
写したものを公開しなければ、意味が無い。
ということで、このブログで、この郡上の写真を見ていただこうと思う。



僕は黒が好きだ。
前にこのブログで書いたが、黒は闇。
それは五感を澄ませ、自分の心を見えやすくしてくれる。

ほとんどが黒く塗りつぶされた写真。
わずかに見える焦点。
「ってゆうか、なにが写っとるんや?」
そう言われるくらい、でもギリギリな感じ。
そこに想像力の羽を伸ばせる余地が、あるから。

"黒のアーカイブス"
第1庫「美並|梅開示」。

こんな自分勝手な写真に、興味がある方はおつきあいください。

木曜日, 3月 08, 2007

フォトコン2

雪降る気良の写真
今夜は-2℃。突然寒い郡上です。

水曜日, 3月 07, 2007

フォトコンテスト

アメリカン・エキスプレスカード、フォトコンテストに応募中。
萱場の写真

最近様々なフォトコンテストがある。
携帯の写真を応募できたり、ペットのわんちゃんにゃんちゃんの写真を募集してたり、空のある写真とか、田舎の風景とか、テーマは様々。

興味がある方は、「登竜門」をのぞいて見ては。

火曜日, 3月 06, 2007

純喫茶


朝から寒いなと思っていたら、昼過ぎから雨がみぞれに、みぞれが雪に変わった。
八幡の喫茶店に入ると、しばしおっちゃんらが窓の外を覗いて、
そんな話題。

今日はチラシとWebの企画を考える日。
ノートとペンだけ持って近所の喫茶店へ。
べつに暇だからいくワケでなく、家の仕事部屋で煮詰まると、コーヒー一杯で数時間、入り浸る。

なにやらひとりでワケの判らないものを、ぼろぼろの紙(かつては"無印の雑誌ノート"だった)に書込んで、悲壮な顔をしながら上を向いたり首かしげたり、頭抱えたり。
「そうやなー……でxxxx…」
とかなんとか呟くヒゲづらメガネの若者は、喫茶の中ですこし浮いている。


八幡の街中には、何故か喫茶店がたくさんある。
そして平日昼間にもかかわらず、地元のおいさん達がひっきりなしに出入りする。
「よお」「どうや」
と会話が飛び交う。
そんなBGMを片耳に、コーヒーをちびちび啜って思案に暮れる。

チロル、門、ホープ、こびり処、くつろぎ茶屋、バンビetc...
煮詰まりついでに、『ひたれる喫茶&ホットコーヒー探訪in八幡』、
計画進行中。

月曜日, 3月 05, 2007

畑始動。


今日、スコールのような土砂降り。
車から社屋へのほんの数秒で、服の色が変わるくらい。
「こんな時期にこんな雨なんて」
なんて話しも飛び交うが、一雨ごとの暖かさ。
しばらくぶりの、まとまった雨に大気が浄化されるような気もする。
巷で流行のインフルエンザや風邪ウイルスも、これで少しはおとなしくなるかなあ。


おとつい畑のコト始め。
土壌改良を願って、6畳くらいの小さい僕の畑に、ゴミ袋5つ分の腐葉土を入れ、生ゴミを混ぜて耕す。
こないだ山奥の道路脇から持ってきた腐葉土。

郡上には、あまり使われていない道路がたくさんある。
山越えや堰堤に通じる道で、ぐにゃぐにゃと延びて街灯ひとつないから日が暮れると真っ暗。
そこは山肌を縫って走っているから、道路と斜面の間に落ち葉が積もり、腐葉土と化してたまっていたりする。ちょうど地面がコンクリなので、畑には余計な石や草がほとんどないのだ。

僕は釣りに夢中になって、日暮れ頃に作業へ取りかかった。

次第に辺りは暗闇に染まる。
月もなく、聞こえるのは山鳥かなにかの鳴き声だけだ。
そのまったく人気のない山道で、スコップ片手にゴミ袋を担いだ男。
無精髭だらけの横顔、メガネが光っている。
何かを、掘っている。

そんな火曜サスペンスばりの努力が実って、今年は元気な野菜がたくさんできますように。

金曜日, 3月 02, 2007

ブラウザ


郡上発田舎情報誌『季刊 里山の袋』春号発行!
昨夜(?)朝の6時までかかって書いた里山の袋のHPをご覧あれ。

ホント、ブラウザのCSS表示誤差はしんどい。
みなさんブラウザ(インターネット見るソフト)は何を使ってますか。

InternetExplorer(以下IE)
SafariFirefox
Netscape
Opera

ほとんどのホームページは、ワードの文章みたいにHTMLという言葉で書かれた文章だ。
しかし、同じ文章でもブラウザによって見え方が違ってしまう。
例えばIEとSafariでは文字と文字の幅や、画像隙間が違ってしまう。
ひどい時には、言葉の解釈の違いで、無視されたりする。

「なんのこっちゃ」
ってカンジかもしれないが。

テトリスで同じ形のブロックの幅がそれぞれ微妙に違ったら、困る。
「ちゃんと積んだのに、この縦長ブロック入れたら4段一気に消せるのに」
でも、微妙にブロックに隙間が空いていて消せない。
それどころか、十字キーの左が効かない。
「なんで左が」
「しかもいま?」


そんなカンジ。

うまく文章を組み合わせて、ブラウザのご機嫌とりながら、何度も何度も試行錯誤。
それを業界用語で"バグ"と言う。

そして、一番ムゴいのは、IE。
「みんな言うこと聞いてくれるのに、なんで君だけ、しかもここで?」
Webデザイナーにしかわからないこの苦しみ。

IEのシェアは90%。
でも、僕はFierFoxを使いつづける。
唯一無二の、無言の抵抗。

水曜日, 2月 28, 2007


「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」
今日友達から教わった言葉。
釈尊の死に際の教え。


僕らの周りはギラギラしている。
大音量のTVCM、原色だらけのチラシ、ビルの大きな看板、電気屋でずっと流れる、歌。
「アナタヲシアワセニシマス、私たちは、あなたを幸せにします。」
だから買って下さい。

僕らはいつも強い光に引き寄せられる。
勝ち組、負け組。
成功、失敗。
金持ち、貧乏。
きれい、きたない。

大事なことは、すべて目の前にあるのに。
資本主義の先導に耳まで漬かって、もうすぐ何も聞こえない。


暗闇に行こう。
自身の灯り、こころがはっきり見えるように、大事なことが聞こえるように。

昼過ぎ、郡上、大和の山中”内ヶ谷”へ向かった。
八幡から車で30分程度だけど、誰もいない、川の音しか聞こえない谷。
エメラルドグリーンの水面に何度も竿をふりながら、思う。
「もう少しあったかくなったら、キャンプに来よ」

たまには自分を照らす、闇に出会いに。

火曜日, 2月 27, 2007


BIG RIVERを観た。
オダギリジョーとパキスタンの男と、アメリカの女が三人で”ワイルドウェスト”をウロウロする映画。
どこもでも続くサバンナ、でっかい岩、砂塵が舞うアメリカの大平原。


僕はあまり旅に出たことがない。
記憶を辿ると、それでも何度か。
屋久島や襟裳岬へバイクで走ったり、
スウェーデンへ研修へ行ったり、
旅のカテゴリーかわからないけど、思い立って白山にひとり登った。

僕にとって旅は、なんだかよくわからない。
旅先でおもしろい出会もあったし、感動的な景色、仲間との思い出もある。

真冬、-20℃のスウェーデン、スティールの手すりに突き刺さるように積もる雪の結晶。

慣れないバイクで大雨の中ひた走り、2回も事故ってたどり着いた屋久島。
干潮時だけできる海に面した温泉に2人の仲間と漬かったこと。

所属する大学サークルのOBってだけで、突撃訪問。
何日も泊めてくれて、毎晩酒に付き合ってくれた。北海道の夏。

白山、山頂付近のキャンプ場で夜半突風と雨。馬鹿でかい雷の音。
テントが水没しないよう祈りながら、寒さに震えながら迎えた朝の晴天。

旅をする時間、最高の自由が手に入る。
時に辛くて痛かったり、時に涙が出るほど嬉しかったりする。
でも、僕はずっと自分のアイデンティティーを探していた。


今、この郡上に根を張りたい。
僕は旅に、出会った人たちに、
「アイデンティティーはこの手でつくるものだ」
そう教わった気がする。


そういえば、バイク売ってからあんまり旅してない。
そろそろ走りたいなあ。


SHINOBI(主演:仲間由紀恵/オダギリジョー)を観た。
ことさら感動したわけじゃないけど、久々映画の世界に入った。

ここんとこ、風邪が治って間もなくまた引いて、自分の体力の無さに驚く。
ちょっと忙しかったから、ずっとパソコンの前にかじりつく生活。
よし、と思って二日間休みにする。


手始めに明日は引きこもって、ひとりで5本のDVD。
どっぷり漬かってやる。

映画はいい。
ストーリーは良い悪いあるけど、役者さんの懸命な姿や、心動かそうとする目がある。
日常で眠っていた、アタマの回路がパチパチと入って、なんか楽しくなる。

「あきらめるな、定めとは俺たちがつくるものだ(オダギリ)。」
楽しくなると、元気がでる。

土曜日, 2月 24, 2007

広告

UPSOLD.COMで萱場デザインのTシャツ販売中。
髑髏好きな方、一見ください。

でも、だけど



中村文昭氏の講演へ行った。
素晴らしい話しだった。

話しの中で、中村氏が大事にしている、4つのコトをことさら言っていた。
1、素直な心と0.2秒以内の返事
2、頼まれ事は、試され事
3、できない理由を言うな
4、今できることを探してまでやれ
たった、4つのことだと言っていた。

これだけだと意味がわからないかもしれないし、僕受け取りなので、氏が伝えたいこととは違うかもしれないけど、簡単に説明させてもらう。

1は、素直な心でなければ、人は簡単に他人の言葉をシャットアウトしてしまう。どんなに相手が意味のあることを言っても、聞く姿勢がなければ無駄。そして、すぐ返事を返すことで、相手に自分の聞く姿勢を伝えることができる。
2、人から頼まれるということは、その人に試されているということ。
3、人は難題(自分が思うだけ)に当たると、すぐにできない理由を並べて、なにもしないうちからあきらめてしまう。
4、今できることを、今からしろ。

いいかげんに聞いたので、大分語弊があるし、氏はもっと面白く実体験を交えて話されたので、僕が書いても伝わるか分からないけど、一応こんな内容だったと思う。

その中で僕が一番引っかかったのは、2の「できない理由を言うな」だった。
以前書いたが、心底街の生活にうんざりして、「ホントの生活」を求めこの田舎に来た。
田舎で学んで、それを基準に新しい日本社会をつくりたいと考えていた。
「たくさんの日本の問題を変えていきたい」って、熱い想いが胸の奥にいつもグツグツしてた。
今も想いは確かだと思っている。

郡上に来て3年、いつしか僕の中のマグマに似た想いは、冷えて固まっていた。
社会に出て、働いて、僕もようやくまともな大人になりつつあるが、
オトナのダメな部分も、知らず知らずのうちに刷り込まれていった。

すぐ人は言う。
「そうだけど、でもさ現実がさ、こういう問題があるからさあ、」
でもやっぱりね、こうだとまずいからなあ、」

新しいことなんか、大変じゃん。
変えていくのは、危ないさ。


「でも、だけど」
本気で社会を変えたいなら、自分を変えたいなら、
そんなくだらない台詞は、もういらない。

僕の奥から、熱いものが再び動き出す音がする。

金曜日, 2月 23, 2007


ようやく大きな仕事が片付いて、片付いたら立ちすくんでいる。
やらなきゃいけない仕事はあるけど、〆切も先だし。
そう思うと、とっとと片付ければいいのに、なんかだらだらやってる。

デザインの仕事に限らずだけど、だらだらやってうまくいくコトなんてない。
短い時間でも、深く集中し、気力を絞ったほうがいい。
でも、動けない。
心が、動かない。


人は自分がステップアップしてると実感できれば、どんどん気力が沸いて来る。
自分の成長が楽しくてしょうがなくなって、次へつぎへと前に進める。
でも、今の僕はそうじゃない。

ある程度成長して、これからホントのオリジナルティや実力が問われている。
多少頑張ったところで、評価なんかされないし、自分でも評価したくない。

浅ましくも、人に認められたいし、評価されたがってるのだろう。
心の声が聞こえる、
「こんなに頑張ってるのに。」
ってさ。

ばかばかしい。
ビジョンが、揺らいでいる。

水曜日, 2月 21, 2007

兆し


僕のツレが、ガタガタに舗装された道を見て、
「これは地方切り捨て、東京依存の地方政策の終わりやな。その兆しや。」
と話していた。

ようするに、水道管かなにかの埋め立てのあと、道路をきれいに舗装する金が出ず、ガタガタ道のままになっている状況は、これから地方交付金などの東京からの支援がなくなっていくだろう、という話し。

僕らは未来を予知することなんてできない。
でも、変化を予測することができる。

「何事にも兆しがある」
とツレは言う。
その通りだ。
でも、兆しは微かで、僕らは簡単に見落としてしまう。


地球温暖化、環境汚染、農村の崩壊、地方の衰退。
私利私欲を願って生きていたありかたに、もう日本が許容できない。
変わっていく世の中だから、正しい方向へ変えていきたい。

見逃してはいけない。
未来を変えていく為に。

火曜日, 2月 20, 2007

願い


たったひとりの為に想いをとげること。
同じものが好きなひとは10万人はいること。
100万回願えば、願いは叶うということ。

SWITCH
の前の編集長、新井さんの言葉。(今はCoyote編集長)

はじめは小さなタブロイド紙だった、SWITCHをつづけている時に新井さんが信じた言葉らしい。
僕が、信じる言葉のひとつ。

雑誌を継続するのは、並大抵のことではない。
「ホントにこれは、ひとに受け入れられるのか?おもしろいのか?  …もしかして、だれも興味はないんじゃないか?意味が、ないんじゃないか。」
どんなに伝えたいと思っても、自信は揺らぐ。

表現するってことは、裸の自分を公衆にさらすことだ。


今僕は、郡上の田舎情報誌、里山の袋の春号、巻頭ページを書いている。
たったひとりの為に、想いを遂げなければ誰にも伝わらない。
たったひとりの為に、それはラブレターみたいに、とても難しい。

自由奔放

ひとに、どう思われるのか。
なんて言われるのか。
誤解されてないか。
疎まれてないか。

そんなことばかり気になってしまう日がある。
気が小さいし、神経質なのか。

僕らは毎日繋がりのなかで生き、生かされている。
家族、職場、地域、郡上、日本、世界。
何億という人間、その万事と関係をしながら。

やっぱり、沢山の人のお陰で生かされてるから、みんな大事にしたいし、仲良くしたい。
なるべく笑顔で接するのがいいに決まってるし、自分のコトしゃべるより聞く方が大切。


でも勘違いしちゃいけない。
仲良くするコトは、従属じゃない。
誤解した人の不当な関わりに対して、自分の信念を保って、頑な姿勢を見せなければならない時がある。

僕はヘタレだから、すぐ惑う。
いつもクヨクヨするし、自分はダメな人間だって、すぐ思ってしまう。
だから今日もたったひとつ誓う。

南無阿弥陀仏、そして自由奔放我が道をゆけ。

火曜日, 2月 13, 2007

風夕暮


カゼをひいた。
忙しくてちょっと追い込まれると、すぐこれだ。
日頃の不摂生か、パソコン仕事の運動不足か 、精神力のもんだいか。
まあ、いずれにしろ、とりあえず寝ろ、ということ。

カゼ俺定番メニュー。
コンビニでプリンとアロエヨーグルト、ポカリ、そして高めの苦いリポD2本。
ぜったい薬は飲まねー。

帰りがけ、ふらふらと駐車場まで歩く。
黒い山の陰から上へ、えんじ、水色、青、濃紺のグラデーション。
すっと、流れ星みたいに、消えそうな飛行機雲が走っている。


手持ちのカメラのシャッターを、いちどだけ切る。

いいじゃん。
カゼの風のような浮遊感もあって。

月曜日, 2月 12, 2007

雪月花


一雨ごとのあたたかさ。
例年より一足もふたあしも早く、春がやってくる。

この郡上にも。
もうしばらくで、フキノトウが芽吹き野草やアマゴが躍動する。
山は新緑が眩しく、朝晩の霧もまた素敵だ。
畑の作付けが始まり、畝々に種が蒔かれる。

楽しい春。

待ちわびていたはすが、どうも今年は寂しい。
身を切るような、ひりつく冷気と、街灯の光さえ遮る雪に出会えぬまま過ぎ去る冬に。
どうも寂しい。

土曜日, 2月 10, 2007

境界面


今年は暖冬で、さっぱり雪は積もらない。
生活はラクだけど、自然体験旅行の雪遊びにはつらいとこ。

それはさておき、疲れは積もる。
積もりつもって、だんだん自分の器を超えそうなとき。
いらいらしてさ、視野がずどんと狭くなって、自分勝手で、おる。
人間だから、あたりまえだけどさ。

自分が自分でいられる、理性、から溢れる境界面。

身の程がよくわかる。
それもいいかなと思う。

金曜日, 2月 09, 2007

車輪眼



illustratorでチラシ原稿を書きまくっているこの日々。
ふと気づくと、ある能力が僕の目(ドライアイ)に宿っていた。

ミリ単位でものの位置がわかる。
定規とか使わずに、
これとこいつが平行だとか。
これとこいつとあいつが等間隔だとか。

ひとめ見ただけでわかる。

しまいには、なんかチカチカと見えないものまでみえてくる。

僕がこの授り物について話したツレは、こう言った。
「全くうらやましくないのは、なんでやろ。」

目、いたいしね。

共謀罪

会話だけで罪になる法案、国会審議中。
また日本をだめにしようとしてるひとがいる。

知らない方は、自由法曹団のHPで紹介してます。

であう


ここんとこ、ずっとMacと向かいっぱなし。

Macは好きだけど。
いやそんなことじゃなく。

仕事が忙しいのは、いいことだけど。
魂詰めて、脳神経をフル稼働して紙面に情報を殴りこんでいる。
ミリ単位の空間を制御しながら、B3、6枚。


ずーとそうしてると、
なにか自分のなかに、自分の限界か壁か、を感じる。
トランスめいた浮遊感と、
広い器の端に立ったようなカンジ。

ふと、岐阜のORGANというかっこいいフリーペーパーの編集長、蒲さんのブログを読んだ。
なんかどきっとした。
ひとに会いにいかなければ、と思った。

水曜日, 2月 07, 2007

牛乳豆腐の歌

街のアンタは知ってるかい?
牛乳豆腐

ダチの牛屋のセガレが持ってきた
初めて食った Ah

牛乳豆腐

あたかも豆腐みたいなその Loveイデタチ
白くて固めのアイツだから
バリバリ研いだ包丁 グッとしねーと切れやしない
牛乳豆腐

淡白質の Love固まりじゃん
チーズのような 豆腐のような
味噌汁でも グラタンでも
いけるトコまでイッてやれ
牛乳豆腐

ららら ぎゅうにゅうどうふ

オレとオマエと村おこし

ららら ぎゅうにゅうどうふ

いけるトコまでイッてやる

らららら…

火曜日, 2月 06, 2007

めくるめく春の気配


郡上発田舎情報誌『里山の袋』。
その春号の取材を敢行した。

異常気象の気配を漂わせる、今年。
春一番を匂わせる風が、明宝気良地区の谷を吹き抜ける。

今回のイベントは、素晴らしくさわやかな谷すじの棚田で、土起し。
冬のあいだ眠った土を、鍬を振るってかき混ぜて。
畝をつくり、種を蒔くときを待つ。
そんな作業。

土の中からは、まだ冬眠中のミミズやカタツムリが掘り出される。
「まだねむてーよ」
と、丸まったまま、はなはだ迷惑そう。

一仕事終わったら、畦でランチ。
各自持ち寄った、お惣菜が所狭しと並んでいく。
火を起し、スープをあっためる。
おにぎり、根菜煮物、麹とご飯でマスを漬けた寝寿司、白菜の漬け物、ロール白菜豆乳スープ、などなどなど。

食後のいれたて、苦めのコーヒーに口をつけながら、
最高の午後のひとときだった。

月曜日, 2月 05, 2007

Webのチカラ


FlashAjaxを使ったハイテクホームページが次々に生まれている。
パソコンのアプリケーションと差がないサイトはいくらでもある。

ActionScriptのマスター、Bascle Incのサイトでは、
プレステか?と、思わせるくらの高度なFlashゲームが紹介されている。

またご存知、Googleローカルマップは、Ajaxの代表選手。
世界中の地図と、その土地の情報が最新のカーナビ並に見れる。


Webテクノロジーは、情報集積の為にどんどん肥大化してゆく。
この世の"情報"と名のつくものは全て集積し、パソコン1台で24時間アクセス可能な日は近い。


でも、そこに感動があるのだろうか。
いくらハイテクだとしても、Webは「情報収集の場」から一歩も踏み出せないのではないか。
そこにアートは成り立つのか。

moonShow
Ajaxを使って、写真をスライドショーで見せる、バツグンにセンスのいいサイト。
しかし、そこで何十分も、そのスライドに見とれるだろうか。


僕らは映画を観て涙を流し、
本を読んで人生の教訓を得、
絵画や写真を前に、自分の知らない世界へ飛び込んでゆく。
それがアートのチカラ。

世界に何十億とあるホームページに、
実現してく可能性は、あるのだろうか。

金曜日, 2月 02, 2007

ハングリー

髑髏の旗低所得者
僕は明らかにそのカテゴリーの所属だ。

親にたくさんお金を払わせて、私立高校で学び、学習塾に通い、大学まで卒業し、まんまと社会福祉士なんかとっちゃって。

卒業後、僕の輝ける進路は、フリーター

固定給も有給も、雇用保険も厚生年金もない。
あるのはPower Bookと、借りた小さな畑と、心ん中のドクロの旗だけ。

親にはなかなか理解してもらえないけど、
実は、とても幸せだ。

金はないけど、いい仲間と、おいしい水と野菜と魚。
澄んだ空気と、豊かな川と、連なる山々。
そしてプラネタリウムばりの夜空。


これ以上のものはない。
金がないことがハングリーを掻き立てるなら、それでいい。
でもそれ以上に、
この里の美しさが、僕のクリエイティブを支えている。

木曜日, 2月 01, 2007

川は誰のものか

川を変えよう
僕が働いている自然体験学校では、毎年夏に川遊びで沢山の都会に住む子ども達を受け入れている。

清流、吉田川
ご存知の方も多いと思うが、この国に残された数少ない、子どもが遊ぶ文化が生きている川。
そして人の生活と密接に繋がっている川だ。
そしてとても美しい川。

でも僕らが大勢の子ども達をこの川で遊ばせるから、地元の子らがのんびり遊べる場所を奪っているときがある。
川はみんなの場所だから、どっちが悪い、ということではない。
でもやっぱり、ここに暮らし、この川を愛する子らに、好きに遊んで欲しい。


では、なぜ僕らは大勢の子ども達を連れて来るのか。
彼らの地元の川で遊べないから。

僕は子どものころ、「釣りキチ三平」を読みながら、
「あーいいなー、いつかこんなふうになりたい」
と、いつも思っていた。
川に潜って魚を獲ったり、泳いだり、ヤマメイワナや鮎を釣ってみたり。
当時、僕が住んでいた近くの川も、多くが三面張りでザリガニしかいないようなドブ臭い川ばかりだった。

川を奪ったのは誰か、川を汚したのは誰か。

僕らだ。
僕たち大人が、毎日の生活で、
水源地の森林を放棄し、谷にゴミ処分場をつくり、電気の為のダムをつくり、
排水を流し、土地利用の為に小川をつぶし三面張りにし、川岸にフェンスを張った。


これからひとつづつ、取り戻さなければならないものがある。

水曜日, 1月 31, 2007

解禁前夜

なんだこりゃ明日は郡上の渓流釣り解禁の日。
ドキドキする。

解禁日は漁協が放流したアマゴ狙い。
奴らはアホな養殖魚だから天然と違い、流れて来るエサにすぐパクつく。
結果、僕らはそいつらを巡って他の釣人と戦うハメになるのだ。

どれだけいい場所を獲れるかが勝負の分かれ目。
自然との対話ならぬ、
「ココ、あいてます?」
なんて笑顔を武器に、釣れてる人の良心に訴える、電車の席とりみたなネゴシエーションが川岸で繰り広げられる。

三平くんが見たら、
「こんなの釣りでねえ!」
とでも言うだろうか。

最近は光る目印「ケミホタル」を使って深夜から釣り始める輩まで出るしまつ。


でも僕は行く。
明日は2時半起床、3時出発。
ケミホタルを装備した仕掛けを持ってね!

火曜日, 1月 30, 2007

Windows Vista

ウインドウズビスタが発売された。
プレミアム デジタルライフ、「写真・ビデオ」「デジタルエンターテインメント」「音楽・映像」「コミュニケーション」「使いやすさと信頼性」を追求するという。


MacOSより5年は遅れた技術。
MacOSに到底追いつけそうもないデザイン。

ああ、愛しき人々よ。
マックにしとこう。
I love Macintosh マジで。

月曜日, 1月 29, 2007

天才


生まれつき備わっている、きわめてすぐれた才能。また、その持ち主。goo国語辞典

クラシックのベートーベン
物理学のアインシュタイン湯川秀樹
絵画の世界では、ピカソゴッホたち。

僕は思う。
天才とは、人間としてきわめて大きな欠陥があることではないか?

彼らは絵の具を買うか、それとも今日のパンを買うかの選択を迫られたとき、迷わず画材を選んでしまう愚かな人間。
生き物として、最も大事な「食」さえ放り捨ててしまう。
それは夢のために頑張るとか、人に認めて欲しいとか、大切なひとと一緒にいたいとか。
そんなことじゃない。

絵を描きたいえをかきたいエヲカキタイ。
そのどうしよもない衝動に駆られて、それしかなくて。

もし叶うなら、普通の人として生きたかっただろう。
ゴッホは狂人と言われて死んでいった。
誰にも認められないままに。


自分の絵だけが、自分の存在そのもの。
彼らの残したものには、魂がうつっている。

Dr.コトー


DVD『Dr.コトー診療所2004』今見た。
涙にじみ、速攻iTunesで『銀の龍の背に乗って』ダウンロードして
聴きつつ。

ワケわかんないけど。
僕らは自分勝手な忙しい毎日。
慌ただしく、巡る間しく変化してゆく狭い世界。
自分だけの殻に閉じこもった、狭い世界。

「オマエが必要なんじゃ!」。
ドラマ終盤の台詞。


ホントは変わらないもの、靴裏の、地面からつづいて広がっている、繋がっているもの。
それが一番大事だって、明日には忘れるけど。
変わらないコトが、大事だって思えるようになりたい。

日曜日, 1月 28, 2007

こころうごくとき


子どもだけの自然体験旅行、冒険キッズでスタッフとして働いたこの2日間。
雪原でソリ遊びにカマクラづくり、雪合戦をして遊んだ。

暖冬に悩まされる今年。
雪がたくさんあると、木の枝や溝を埋めて、ふかふかの雪はクッションにもなる。でも、雪が減ると子ども達の安全管理にも気を使う。
それに、例年は3メートル近くの雪の上で遊ぶから、ホントはこんなもんじゃないのに、って思ったりする。

今日は久々に雪が降ってきた。
『上みれば虫っコ、中みればわたっコ、下みればゆきっコ』。
釣りキチ三平』の三平が、街から来た大学生に、秋田の里山で雪が降りはじめた空をみてかけた言葉。
同じ雪でも大きさや近さによって、感じが変わる。


感じは自分自身のもの。
そのときの、こころ模様を映し出す。
雪は何も言わないし、誰にも同じように降り積もる。
そして、限りなくシンプルで美しい。

だから、自分の中にあるものが映って、こころ動かされるのかもしれない。
そんなものを、いつか表現したいと思った。

金曜日, 1月 26, 2007

全裸の意味

最近裸になってますか?
日本人は全裸で産まれてきて、服着て死んでゆく。

僕らは外では絶対に服を着て歩く。
昔、僕の学生時代。
深夜に全裸で闊歩するサークルがあった。(もちろん人に迷惑かけずに!)

とある夜のサークルの集い。
始めは何にも知らされてなかった僕は、ある晩突然服を脱ぎだす諸先輩方におののいた。
当然そんなことをした事がない僕は、断固拒否。

結局ムリヤリ脱がされて、キャンパスを疾走する彼らの後を追うハメに。

そして気づく。
全身を夜風が覆うカンジ。
爽快を通り越した、快感。


僕らは日々感覚を殺して生きている。
皮膚の8割を覆隠して、人ごみに感覚すら閉じ込めて(田舎はそんなことないけど)。
自分が思う以上に、信じられないくらい。

原点に返る。
あたりまえだけど、僕らは忘れてしまうから。


注:公前で裸をさらして楽しむ事とは関係ありません。

木曜日, 1月 25, 2007

everybody has a dream マジで

バンプの新曲、涙のふるさと
でも僕の胸に響くのは、2曲目、真っ赤な空を見ただろうか の8分と10秒後に流れる隠しトラック。

 ♪食べたいな世界中の めずらしい たべもの
 むしゃり むしゃ もぐり もぐ
 きっと きっと
 おいしいん だから

 中略

 everybody(everybody) everybody has a dream マジで
 everybody(everybody) everybody has a dream 今も  マジで


相変わらず意味不明、だけどドキドキする。
大好きです。

僕にも密かな夢、野望がある。
デザインで世界を変えること。

戦争がなくなること。
おいしいごはんを食べれること。
子ども達が毎日野山で走れること。

意味不明だけど。 マジで。

水曜日, 1月 24, 2007

ただ今"エスクァイア日本版デジタル写真賞'06-'07"に投稿中

萱場振一郎のギャラリー

グーグルアースの衝撃

遅ればせながら、昨夜はじめてgoogle Eathを使ってみた。
衝撃、世界中の衛星写真が駐車場に止まった車を数えれるくらいの精度で見れる(しかも3D!)

残念ならが、我が郡上八幡は衛星写真が古い為か、ややピンぼけだけど。
自分家の屋根がネットに公開される時代になったんだなー、と思った。
お隣さんの畑に何が植わってるかもわかってしまうし、そのうちマトリックスみたいにアタマの後ろにコネクターが付く日も近いのでは。

もうすぐ人類は世界の情報を全て手に入れるだろう、って大勢の人が思ったにちがいない。

でも、google eathには全然映らない。
ホントに大事なコト。

畑のカタチや野菜の植えかたじゃない。
大事なのはソコじゃない。

どんな土か?
砂が多いのか、それとも石ばかりなのか。
肥料が多いのか、少ないのか。
農薬は使っているのか、使わないのか。
風が強いのか、弱いのか、雨が多いのか、少ないのか、むし暑いのか、はだ寒いのか、
今日は晴天なのか、薄曇りなのか、むしろ小雨が降っているのか。

ソコを耕す人はいるのか、いないのか、経験があるのか、ないのか、カワイイねーちゃんなのか?胸が大きいのか、足がきれいなのか、それともばあちゃんなのか。

畑を耕す人は、土を愛しているのか。


ハイテクってすげー。
僕の仕事もハイテクがあるから(Macがあるから)、成り立っている。
それは魅力的だし、なんかキラキラしてる。

でも、それ以上に人間ってすげー。

あたりまえだけど、
畑の野菜がうまいか、まずいかは、耕す人次第。

そこがピンぼけしそうな今日この頃です。