水曜日, 2月 28, 2007


「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」
今日友達から教わった言葉。
釈尊の死に際の教え。


僕らの周りはギラギラしている。
大音量のTVCM、原色だらけのチラシ、ビルの大きな看板、電気屋でずっと流れる、歌。
「アナタヲシアワセニシマス、私たちは、あなたを幸せにします。」
だから買って下さい。

僕らはいつも強い光に引き寄せられる。
勝ち組、負け組。
成功、失敗。
金持ち、貧乏。
きれい、きたない。

大事なことは、すべて目の前にあるのに。
資本主義の先導に耳まで漬かって、もうすぐ何も聞こえない。


暗闇に行こう。
自身の灯り、こころがはっきり見えるように、大事なことが聞こえるように。

昼過ぎ、郡上、大和の山中”内ヶ谷”へ向かった。
八幡から車で30分程度だけど、誰もいない、川の音しか聞こえない谷。
エメラルドグリーンの水面に何度も竿をふりながら、思う。
「もう少しあったかくなったら、キャンプに来よ」

たまには自分を照らす、闇に出会いに。

火曜日, 2月 27, 2007


BIG RIVERを観た。
オダギリジョーとパキスタンの男と、アメリカの女が三人で”ワイルドウェスト”をウロウロする映画。
どこもでも続くサバンナ、でっかい岩、砂塵が舞うアメリカの大平原。


僕はあまり旅に出たことがない。
記憶を辿ると、それでも何度か。
屋久島や襟裳岬へバイクで走ったり、
スウェーデンへ研修へ行ったり、
旅のカテゴリーかわからないけど、思い立って白山にひとり登った。

僕にとって旅は、なんだかよくわからない。
旅先でおもしろい出会もあったし、感動的な景色、仲間との思い出もある。

真冬、-20℃のスウェーデン、スティールの手すりに突き刺さるように積もる雪の結晶。

慣れないバイクで大雨の中ひた走り、2回も事故ってたどり着いた屋久島。
干潮時だけできる海に面した温泉に2人の仲間と漬かったこと。

所属する大学サークルのOBってだけで、突撃訪問。
何日も泊めてくれて、毎晩酒に付き合ってくれた。北海道の夏。

白山、山頂付近のキャンプ場で夜半突風と雨。馬鹿でかい雷の音。
テントが水没しないよう祈りながら、寒さに震えながら迎えた朝の晴天。

旅をする時間、最高の自由が手に入る。
時に辛くて痛かったり、時に涙が出るほど嬉しかったりする。
でも、僕はずっと自分のアイデンティティーを探していた。


今、この郡上に根を張りたい。
僕は旅に、出会った人たちに、
「アイデンティティーはこの手でつくるものだ」
そう教わった気がする。


そういえば、バイク売ってからあんまり旅してない。
そろそろ走りたいなあ。


SHINOBI(主演:仲間由紀恵/オダギリジョー)を観た。
ことさら感動したわけじゃないけど、久々映画の世界に入った。

ここんとこ、風邪が治って間もなくまた引いて、自分の体力の無さに驚く。
ちょっと忙しかったから、ずっとパソコンの前にかじりつく生活。
よし、と思って二日間休みにする。


手始めに明日は引きこもって、ひとりで5本のDVD。
どっぷり漬かってやる。

映画はいい。
ストーリーは良い悪いあるけど、役者さんの懸命な姿や、心動かそうとする目がある。
日常で眠っていた、アタマの回路がパチパチと入って、なんか楽しくなる。

「あきらめるな、定めとは俺たちがつくるものだ(オダギリ)。」
楽しくなると、元気がでる。

土曜日, 2月 24, 2007

広告

UPSOLD.COMで萱場デザインのTシャツ販売中。
髑髏好きな方、一見ください。

でも、だけど



中村文昭氏の講演へ行った。
素晴らしい話しだった。

話しの中で、中村氏が大事にしている、4つのコトをことさら言っていた。
1、素直な心と0.2秒以内の返事
2、頼まれ事は、試され事
3、できない理由を言うな
4、今できることを探してまでやれ
たった、4つのことだと言っていた。

これだけだと意味がわからないかもしれないし、僕受け取りなので、氏が伝えたいこととは違うかもしれないけど、簡単に説明させてもらう。

1は、素直な心でなければ、人は簡単に他人の言葉をシャットアウトしてしまう。どんなに相手が意味のあることを言っても、聞く姿勢がなければ無駄。そして、すぐ返事を返すことで、相手に自分の聞く姿勢を伝えることができる。
2、人から頼まれるということは、その人に試されているということ。
3、人は難題(自分が思うだけ)に当たると、すぐにできない理由を並べて、なにもしないうちからあきらめてしまう。
4、今できることを、今からしろ。

いいかげんに聞いたので、大分語弊があるし、氏はもっと面白く実体験を交えて話されたので、僕が書いても伝わるか分からないけど、一応こんな内容だったと思う。

その中で僕が一番引っかかったのは、2の「できない理由を言うな」だった。
以前書いたが、心底街の生活にうんざりして、「ホントの生活」を求めこの田舎に来た。
田舎で学んで、それを基準に新しい日本社会をつくりたいと考えていた。
「たくさんの日本の問題を変えていきたい」って、熱い想いが胸の奥にいつもグツグツしてた。
今も想いは確かだと思っている。

郡上に来て3年、いつしか僕の中のマグマに似た想いは、冷えて固まっていた。
社会に出て、働いて、僕もようやくまともな大人になりつつあるが、
オトナのダメな部分も、知らず知らずのうちに刷り込まれていった。

すぐ人は言う。
「そうだけど、でもさ現実がさ、こういう問題があるからさあ、」
でもやっぱりね、こうだとまずいからなあ、」

新しいことなんか、大変じゃん。
変えていくのは、危ないさ。


「でも、だけど」
本気で社会を変えたいなら、自分を変えたいなら、
そんなくだらない台詞は、もういらない。

僕の奥から、熱いものが再び動き出す音がする。

金曜日, 2月 23, 2007


ようやく大きな仕事が片付いて、片付いたら立ちすくんでいる。
やらなきゃいけない仕事はあるけど、〆切も先だし。
そう思うと、とっとと片付ければいいのに、なんかだらだらやってる。

デザインの仕事に限らずだけど、だらだらやってうまくいくコトなんてない。
短い時間でも、深く集中し、気力を絞ったほうがいい。
でも、動けない。
心が、動かない。


人は自分がステップアップしてると実感できれば、どんどん気力が沸いて来る。
自分の成長が楽しくてしょうがなくなって、次へつぎへと前に進める。
でも、今の僕はそうじゃない。

ある程度成長して、これからホントのオリジナルティや実力が問われている。
多少頑張ったところで、評価なんかされないし、自分でも評価したくない。

浅ましくも、人に認められたいし、評価されたがってるのだろう。
心の声が聞こえる、
「こんなに頑張ってるのに。」
ってさ。

ばかばかしい。
ビジョンが、揺らいでいる。

水曜日, 2月 21, 2007

兆し


僕のツレが、ガタガタに舗装された道を見て、
「これは地方切り捨て、東京依存の地方政策の終わりやな。その兆しや。」
と話していた。

ようするに、水道管かなにかの埋め立てのあと、道路をきれいに舗装する金が出ず、ガタガタ道のままになっている状況は、これから地方交付金などの東京からの支援がなくなっていくだろう、という話し。

僕らは未来を予知することなんてできない。
でも、変化を予測することができる。

「何事にも兆しがある」
とツレは言う。
その通りだ。
でも、兆しは微かで、僕らは簡単に見落としてしまう。


地球温暖化、環境汚染、農村の崩壊、地方の衰退。
私利私欲を願って生きていたありかたに、もう日本が許容できない。
変わっていく世の中だから、正しい方向へ変えていきたい。

見逃してはいけない。
未来を変えていく為に。

火曜日, 2月 20, 2007

願い


たったひとりの為に想いをとげること。
同じものが好きなひとは10万人はいること。
100万回願えば、願いは叶うということ。

SWITCH
の前の編集長、新井さんの言葉。(今はCoyote編集長)

はじめは小さなタブロイド紙だった、SWITCHをつづけている時に新井さんが信じた言葉らしい。
僕が、信じる言葉のひとつ。

雑誌を継続するのは、並大抵のことではない。
「ホントにこれは、ひとに受け入れられるのか?おもしろいのか?  …もしかして、だれも興味はないんじゃないか?意味が、ないんじゃないか。」
どんなに伝えたいと思っても、自信は揺らぐ。

表現するってことは、裸の自分を公衆にさらすことだ。


今僕は、郡上の田舎情報誌、里山の袋の春号、巻頭ページを書いている。
たったひとりの為に、想いを遂げなければ誰にも伝わらない。
たったひとりの為に、それはラブレターみたいに、とても難しい。

自由奔放

ひとに、どう思われるのか。
なんて言われるのか。
誤解されてないか。
疎まれてないか。

そんなことばかり気になってしまう日がある。
気が小さいし、神経質なのか。

僕らは毎日繋がりのなかで生き、生かされている。
家族、職場、地域、郡上、日本、世界。
何億という人間、その万事と関係をしながら。

やっぱり、沢山の人のお陰で生かされてるから、みんな大事にしたいし、仲良くしたい。
なるべく笑顔で接するのがいいに決まってるし、自分のコトしゃべるより聞く方が大切。


でも勘違いしちゃいけない。
仲良くするコトは、従属じゃない。
誤解した人の不当な関わりに対して、自分の信念を保って、頑な姿勢を見せなければならない時がある。

僕はヘタレだから、すぐ惑う。
いつもクヨクヨするし、自分はダメな人間だって、すぐ思ってしまう。
だから今日もたったひとつ誓う。

南無阿弥陀仏、そして自由奔放我が道をゆけ。

火曜日, 2月 13, 2007

風夕暮


カゼをひいた。
忙しくてちょっと追い込まれると、すぐこれだ。
日頃の不摂生か、パソコン仕事の運動不足か 、精神力のもんだいか。
まあ、いずれにしろ、とりあえず寝ろ、ということ。

カゼ俺定番メニュー。
コンビニでプリンとアロエヨーグルト、ポカリ、そして高めの苦いリポD2本。
ぜったい薬は飲まねー。

帰りがけ、ふらふらと駐車場まで歩く。
黒い山の陰から上へ、えんじ、水色、青、濃紺のグラデーション。
すっと、流れ星みたいに、消えそうな飛行機雲が走っている。


手持ちのカメラのシャッターを、いちどだけ切る。

いいじゃん。
カゼの風のような浮遊感もあって。

月曜日, 2月 12, 2007

雪月花


一雨ごとのあたたかさ。
例年より一足もふたあしも早く、春がやってくる。

この郡上にも。
もうしばらくで、フキノトウが芽吹き野草やアマゴが躍動する。
山は新緑が眩しく、朝晩の霧もまた素敵だ。
畑の作付けが始まり、畝々に種が蒔かれる。

楽しい春。

待ちわびていたはすが、どうも今年は寂しい。
身を切るような、ひりつく冷気と、街灯の光さえ遮る雪に出会えぬまま過ぎ去る冬に。
どうも寂しい。

土曜日, 2月 10, 2007

境界面


今年は暖冬で、さっぱり雪は積もらない。
生活はラクだけど、自然体験旅行の雪遊びにはつらいとこ。

それはさておき、疲れは積もる。
積もりつもって、だんだん自分の器を超えそうなとき。
いらいらしてさ、視野がずどんと狭くなって、自分勝手で、おる。
人間だから、あたりまえだけどさ。

自分が自分でいられる、理性、から溢れる境界面。

身の程がよくわかる。
それもいいかなと思う。

金曜日, 2月 09, 2007

車輪眼



illustratorでチラシ原稿を書きまくっているこの日々。
ふと気づくと、ある能力が僕の目(ドライアイ)に宿っていた。

ミリ単位でものの位置がわかる。
定規とか使わずに、
これとこいつが平行だとか。
これとこいつとあいつが等間隔だとか。

ひとめ見ただけでわかる。

しまいには、なんかチカチカと見えないものまでみえてくる。

僕がこの授り物について話したツレは、こう言った。
「全くうらやましくないのは、なんでやろ。」

目、いたいしね。

共謀罪

会話だけで罪になる法案、国会審議中。
また日本をだめにしようとしてるひとがいる。

知らない方は、自由法曹団のHPで紹介してます。

であう


ここんとこ、ずっとMacと向かいっぱなし。

Macは好きだけど。
いやそんなことじゃなく。

仕事が忙しいのは、いいことだけど。
魂詰めて、脳神経をフル稼働して紙面に情報を殴りこんでいる。
ミリ単位の空間を制御しながら、B3、6枚。


ずーとそうしてると、
なにか自分のなかに、自分の限界か壁か、を感じる。
トランスめいた浮遊感と、
広い器の端に立ったようなカンジ。

ふと、岐阜のORGANというかっこいいフリーペーパーの編集長、蒲さんのブログを読んだ。
なんかどきっとした。
ひとに会いにいかなければ、と思った。

水曜日, 2月 07, 2007

牛乳豆腐の歌

街のアンタは知ってるかい?
牛乳豆腐

ダチの牛屋のセガレが持ってきた
初めて食った Ah

牛乳豆腐

あたかも豆腐みたいなその Loveイデタチ
白くて固めのアイツだから
バリバリ研いだ包丁 グッとしねーと切れやしない
牛乳豆腐

淡白質の Love固まりじゃん
チーズのような 豆腐のような
味噌汁でも グラタンでも
いけるトコまでイッてやれ
牛乳豆腐

ららら ぎゅうにゅうどうふ

オレとオマエと村おこし

ららら ぎゅうにゅうどうふ

いけるトコまでイッてやる

らららら…

火曜日, 2月 06, 2007

めくるめく春の気配


郡上発田舎情報誌『里山の袋』。
その春号の取材を敢行した。

異常気象の気配を漂わせる、今年。
春一番を匂わせる風が、明宝気良地区の谷を吹き抜ける。

今回のイベントは、素晴らしくさわやかな谷すじの棚田で、土起し。
冬のあいだ眠った土を、鍬を振るってかき混ぜて。
畝をつくり、種を蒔くときを待つ。
そんな作業。

土の中からは、まだ冬眠中のミミズやカタツムリが掘り出される。
「まだねむてーよ」
と、丸まったまま、はなはだ迷惑そう。

一仕事終わったら、畦でランチ。
各自持ち寄った、お惣菜が所狭しと並んでいく。
火を起し、スープをあっためる。
おにぎり、根菜煮物、麹とご飯でマスを漬けた寝寿司、白菜の漬け物、ロール白菜豆乳スープ、などなどなど。

食後のいれたて、苦めのコーヒーに口をつけながら、
最高の午後のひとときだった。

月曜日, 2月 05, 2007

Webのチカラ


FlashAjaxを使ったハイテクホームページが次々に生まれている。
パソコンのアプリケーションと差がないサイトはいくらでもある。

ActionScriptのマスター、Bascle Incのサイトでは、
プレステか?と、思わせるくらの高度なFlashゲームが紹介されている。

またご存知、Googleローカルマップは、Ajaxの代表選手。
世界中の地図と、その土地の情報が最新のカーナビ並に見れる。


Webテクノロジーは、情報集積の為にどんどん肥大化してゆく。
この世の"情報"と名のつくものは全て集積し、パソコン1台で24時間アクセス可能な日は近い。


でも、そこに感動があるのだろうか。
いくらハイテクだとしても、Webは「情報収集の場」から一歩も踏み出せないのではないか。
そこにアートは成り立つのか。

moonShow
Ajaxを使って、写真をスライドショーで見せる、バツグンにセンスのいいサイト。
しかし、そこで何十分も、そのスライドに見とれるだろうか。


僕らは映画を観て涙を流し、
本を読んで人生の教訓を得、
絵画や写真を前に、自分の知らない世界へ飛び込んでゆく。
それがアートのチカラ。

世界に何十億とあるホームページに、
実現してく可能性は、あるのだろうか。

金曜日, 2月 02, 2007

ハングリー

髑髏の旗低所得者
僕は明らかにそのカテゴリーの所属だ。

親にたくさんお金を払わせて、私立高校で学び、学習塾に通い、大学まで卒業し、まんまと社会福祉士なんかとっちゃって。

卒業後、僕の輝ける進路は、フリーター

固定給も有給も、雇用保険も厚生年金もない。
あるのはPower Bookと、借りた小さな畑と、心ん中のドクロの旗だけ。

親にはなかなか理解してもらえないけど、
実は、とても幸せだ。

金はないけど、いい仲間と、おいしい水と野菜と魚。
澄んだ空気と、豊かな川と、連なる山々。
そしてプラネタリウムばりの夜空。


これ以上のものはない。
金がないことがハングリーを掻き立てるなら、それでいい。
でもそれ以上に、
この里の美しさが、僕のクリエイティブを支えている。

木曜日, 2月 01, 2007

川は誰のものか

川を変えよう
僕が働いている自然体験学校では、毎年夏に川遊びで沢山の都会に住む子ども達を受け入れている。

清流、吉田川
ご存知の方も多いと思うが、この国に残された数少ない、子どもが遊ぶ文化が生きている川。
そして人の生活と密接に繋がっている川だ。
そしてとても美しい川。

でも僕らが大勢の子ども達をこの川で遊ばせるから、地元の子らがのんびり遊べる場所を奪っているときがある。
川はみんなの場所だから、どっちが悪い、ということではない。
でもやっぱり、ここに暮らし、この川を愛する子らに、好きに遊んで欲しい。


では、なぜ僕らは大勢の子ども達を連れて来るのか。
彼らの地元の川で遊べないから。

僕は子どものころ、「釣りキチ三平」を読みながら、
「あーいいなー、いつかこんなふうになりたい」
と、いつも思っていた。
川に潜って魚を獲ったり、泳いだり、ヤマメイワナや鮎を釣ってみたり。
当時、僕が住んでいた近くの川も、多くが三面張りでザリガニしかいないようなドブ臭い川ばかりだった。

川を奪ったのは誰か、川を汚したのは誰か。

僕らだ。
僕たち大人が、毎日の生活で、
水源地の森林を放棄し、谷にゴミ処分場をつくり、電気の為のダムをつくり、
排水を流し、土地利用の為に小川をつぶし三面張りにし、川岸にフェンスを張った。


これからひとつづつ、取り戻さなければならないものがある。