金曜日, 12月 12, 2008

天に預ける

バガボンド29を読んで

「お前の生きる道は、天によって完璧に決まっていて、それ故に完璧に自由だ」

いつだったか、2、3年前の、ちょうど雪降る頃だったとおもう。
「天に預ける」
そんなことを紙に書いて部屋に貼っていたことを思い出した。
あれは何処にいったのかな。
すっかり忘れていた。

今と同じように、
日々の閉塞感、繰り返す毎日に疲れ、行き詰まりを感じていた。

自分が未来を選ばなければいけない。
選べるのか、選ばれるのか、実力や努力、才能。
これからどうすればいいのか。
そんな妄念妄想にしばられて、自分を拡張して、
自分だけのわけのわからない霧の中で悶々としていた。

天に決められている。
たとえ自分や世間がどんな状態であっても、
僕は僕の願いに因って、そこへ身を軽く歩けばいい。

伝えたいものがあれば、たった一人でも、誰かと分かち合えればいい。
お金になるかとか、多くの人に伝わるかとか、
結構大事だけど、目的地ではない。

そう思うと、光に包まれたような、
「祈りたくなる」。


きっとまた、すぐに忘れてしまうから。
また明日も念仏したい。

月曜日, 12月 08, 2008

未来

どこから来て、どこへゆくのか。

どうも世間は不況らしい。
上場企業倒産数が最高記録を更新したらしい。
どうも来年は、もっと不況になるらしい。

仕事が減って、収入が減って、先行き不安になるらしい。
僕もそう思う。

僕は仏教徒だから、ちゃんと生きて、ちゃんと死にたい。
そんな願いは、世間の情勢に流されて、閉塞感漂う今日この頃。
人間だなあって、呆れるくらい。

Appleのスティーブさんが、
 「今日が人生最後の日だとしたら、
  私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」
毎朝そう鏡の前で自分に問い、しばらくがNO!が続くようだったら
 「何かを変えないといけない時だ」
と自分に問うたという。

日々の充実とはなにか。

ごまかしたらいけない、ということではないか。
それでも僕は、ごまかし続けて毎日を生きているのではないだろうか。

もし会社が潰れたら、事業が失敗したら。
そんな不安が、僕を「現状維持」に邁進(まいしん)させて怠惰で甘美な「いつもの仕事」に従属させているのではないか。そう思うと気が狂いそうだ。

「新しい」何かをすることは、いつのまにか大きな壁を乗り越えなければできなくなった。
年齢を重ねたせいか、結婚したせいか、寒い季節のせいか、安定した生活があるせいか、
新しいことが、面倒になっていたのか。

自分自身の妄想で巻き付けた鎖を冷静に見つめたい。
大地に根ざせるか、人との関係を大切にできているか、自分の願いに忠実であるか。

変化を恐れる必要はない。
いつも行き先はひとつのはずだから。