火曜日, 7月 01, 2008

迷走

深夜のぐだぐだ。/


「この国はどこへいくんだろう?」

みんながそう思っている。
だけど、「この国を、こうしたい!」。
そう考えている人は少ない。


聖徳太子の時代から、明治維新の「神仏分離令」という法律ができるまで、日本の国教は仏教だった。
そして平成。宗教と聞くと、オウム問題や新興宗教問題のイメージが先行してしまう。
「あやしい」とか、「騙されるんじゃねえか」、「怖い」とか。

でも、「資本主義」という思想が、僕らを洗脳しようとしていることには、誰も疑問を抱かない。

「結局金でしょ?」「物買って、幸せになろうよ!」

駅前に星の数ほどある広告が、そうささやく。
気が狂いそうだ。


仏教には「生老病死」という教えがある。人は生まれたら必ず老い、病気になり、そして死ぬという苦しみがある。その苦をなんとかする為に、どうすれば良いかを釈尊(仏陀)は考え、悩み、思慮の果てに悟りを開かれた。
でも、それからウン千年たった今も、僕らは同じように悩み、苦しみを抱えて生きている。

僕は仏教徒。
南無阿弥陀仏(無数のいのち、ありがとう<簡略解説>)と口に出すことで、なんとか安心を保とうと、日々悶々としている。

生きることは、HOW TOではない。「お札を買えば、大丈夫」とか「お清めすれば、幸せになれる」なんてことは、嘘だ。


幸せに生きたい。
世界中の誰もがそう願う。
人として「ちゃんと生き」そして「ちゃんと死ぬ」。
その願いをもつ人間は、何を拠り所にしているのか。


資本主義を妄信する社会。
「この国を、(みんなが幸せになれるように)こうしたい!」
そう思える人がいるのだろうか。

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