日曜日, 1月 17, 2010

サイト作成

オール電化の施工会社『Eテック』様のHPをtypepadで作りました。プログラムの知識や技術が無くても動的サイトができる… Webサービスの進化はすごい。

月曜日, 2月 09, 2009

モリマンへ

えー
出会いは2000年桜咲く春のあの日。
それからもう、10年近くもたとうとしている。

林間学校という子どもたちの夏休みの自然体験のアルバイト。
その歓迎会で、

俺たちは出会った。

そのときお前が乗っていたレガシーの天井にあった釣り竿のラックを見て
「へー釣りするのか」
そう、精一杯の愛想笑いで声をかけたおれに
「べつに」
と無愛想に答えたお前。

きっと友達になれない
そう思った。

そんな俺らは、林間の先輩だった太田さん、あだ名を

「ざこば」。

いつしか、なぜか、俺らは、ざこばの下宿先に集うようになった。

いつもアルバイトで遅くまで帰ってこないざこば。
俺らは鍵のかかっていないヤツの下宿へ勝手に入り、
テレビを見て、飯を作って二人で食った。
そのとき何を話したのか、ひとつも憶えていないけど、
ヤツが帰ってくる時間に、二人で押し入れに隠れていたのは、今でも忘れない。

それから毎年の夏の林間学校を共に過ごし、
ラフティングのガイドの資格を取るトレーニングも一緒にした。
お前は学科に落ち、実技に受かったが、俺は学科で受かり、実技で落ちた。

でこぼこコンビ
そう呼ばれた。
冬には「冒険キッズ」という岐阜県の郡上でやっている子どもの自然体験旅行のインストラクターもした。
そこにお前が残ると思われていたのに、なぜか俺が今もそこにいる。


突然だけど、俺はお前を友達だと思っていない。
一緒に遊びに行くことも、共通の話題で大盛り上がりすることも、
共通の趣味もない。

でも俺らにはやりたいことがあって、なぜかそのときは、いつも一緒だった。


俺も去年結婚したけれど。
結婚するって心底大変なことだと思う。

育った環境や、見て来た風景、
もちろん性別も、まったく違う2人が一緒に暮らして行くなんて
とても乱暴な話だ。

うまくいかないかもしれない。
愛だとか信用だとかは、実は曖昧なものだ。


けれど、訳の分からん人間が集まって、繋がった林間の仲間がここにおる。
共に過ごした日々の中で、俺はお前を兄弟のように思えている。

お前は人見知りで、無口で不器用なやつだけど。
真面目で、人間の繋がりを大事にするやつだから。

ここにおるご両親をはじめ、たくさんの友達との繋がり。
そして「ひとみさん」との繋がりを、受け入れることができる。
そんな男だと思う。

何が、どんなことがあってもあきらめず、真面目に向き合え!!

今日の結婚式は、通過点にすぎない。
何よりも、何よりも大切な、日々の暮らし …
ほがらかに紡いで欲しい。

では改めて、新郎新婦にかんぱーい!

それキャンプだホイ!

金曜日, 12月 12, 2008

天に預ける

バガボンド29を読んで

「お前の生きる道は、天によって完璧に決まっていて、それ故に完璧に自由だ」

いつだったか、2、3年前の、ちょうど雪降る頃だったとおもう。
「天に預ける」
そんなことを紙に書いて部屋に貼っていたことを思い出した。
あれは何処にいったのかな。
すっかり忘れていた。

今と同じように、
日々の閉塞感、繰り返す毎日に疲れ、行き詰まりを感じていた。

自分が未来を選ばなければいけない。
選べるのか、選ばれるのか、実力や努力、才能。
これからどうすればいいのか。
そんな妄念妄想にしばられて、自分を拡張して、
自分だけのわけのわからない霧の中で悶々としていた。

天に決められている。
たとえ自分や世間がどんな状態であっても、
僕は僕の願いに因って、そこへ身を軽く歩けばいい。

伝えたいものがあれば、たった一人でも、誰かと分かち合えればいい。
お金になるかとか、多くの人に伝わるかとか、
結構大事だけど、目的地ではない。

そう思うと、光に包まれたような、
「祈りたくなる」。


きっとまた、すぐに忘れてしまうから。
また明日も念仏したい。

月曜日, 12月 08, 2008

未来

どこから来て、どこへゆくのか。

どうも世間は不況らしい。
上場企業倒産数が最高記録を更新したらしい。
どうも来年は、もっと不況になるらしい。

仕事が減って、収入が減って、先行き不安になるらしい。
僕もそう思う。

僕は仏教徒だから、ちゃんと生きて、ちゃんと死にたい。
そんな願いは、世間の情勢に流されて、閉塞感漂う今日この頃。
人間だなあって、呆れるくらい。

Appleのスティーブさんが、
 「今日が人生最後の日だとしたら、
  私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」
毎朝そう鏡の前で自分に問い、しばらくがNO!が続くようだったら
 「何かを変えないといけない時だ」
と自分に問うたという。

日々の充実とはなにか。

ごまかしたらいけない、ということではないか。
それでも僕は、ごまかし続けて毎日を生きているのではないだろうか。

もし会社が潰れたら、事業が失敗したら。
そんな不安が、僕を「現状維持」に邁進(まいしん)させて怠惰で甘美な「いつもの仕事」に従属させているのではないか。そう思うと気が狂いそうだ。

「新しい」何かをすることは、いつのまにか大きな壁を乗り越えなければできなくなった。
年齢を重ねたせいか、結婚したせいか、寒い季節のせいか、安定した生活があるせいか、
新しいことが、面倒になっていたのか。

自分自身の妄想で巻き付けた鎖を冷静に見つめたい。
大地に根ざせるか、人との関係を大切にできているか、自分の願いに忠実であるか。

変化を恐れる必要はない。
いつも行き先はひとつのはずだから。

金曜日, 11月 28, 2008

里山の袋冬号

里山の袋


もうすぐ里山の袋の冬号が発行されます。
表紙の写真や、里山冒険物語「のらそうそう」のページ、
ここ何度かは、「サトグラフ」という僕の撮った写真のページも貰っています。
創刊号から4年。

ちょっとは僕の写真やデザインは、進歩したのかなあ。

あと、定期購読(コチラへ!)してください。

木曜日, 10月 30, 2008

虚数


Newton「虚数がよくわかるを読んで、

a+b=10
a×b=40

この連立方程式の解は「解なし」。
普段僕らが使う「数」では存在できないものだからだ。
でも、その存在しない数を存在させようとした人がいた。
そして「虚数」という、「存在しない数」が明示され、「実数」という「認識」が生まれた。


人は「比較」してしか物事を判断できない。

「ユニクロより、パタゴニアのフリースがいい。」
どちらもハイテクだが、パタゴニアのフリースは圧倒的にいい。

僕もパタゴニアのR3を使ってが、着心地、保温性において、ユニクロとは比べ物にならない。
マイナス5,6度程度なら、Tシャツの上にR3、そしてアウターで動ける。
パジャマにしても気にならない快適さ。
蒸れるとか、拘束感とは無縁。

でも、その一着でユニクロフリースが25枚くらい買えるけど。


もし、R3が存在しなければ、ユニクロフリースが最高だろう。
「これより、こっちがいい」
いつも僕らは、そう判断して暮らしている。

けれど、「まったく新しい」何かを創りだそうとしているなら、
手に抱えている物差しは通用しなくなる。
みんなが指し示す判断とは離れてゆく。
「こんなことやっていて、いいのかな」
不安が疼く。


「0」の概念は、数学を飛躍的に発展させた。

0は、無という意味だけだ。
それは、無意味ではなかった。

何が意味があって、何が無意味かなんて、自分の思い込みの世界で判断し不安をかき立てることが、「虚」であるかもしれない。

火曜日, 7月 01, 2008

迷走

深夜のぐだぐだ。/


「この国はどこへいくんだろう?」

みんながそう思っている。
だけど、「この国を、こうしたい!」。
そう考えている人は少ない。


聖徳太子の時代から、明治維新の「神仏分離令」という法律ができるまで、日本の国教は仏教だった。
そして平成。宗教と聞くと、オウム問題や新興宗教問題のイメージが先行してしまう。
「あやしい」とか、「騙されるんじゃねえか」、「怖い」とか。

でも、「資本主義」という思想が、僕らを洗脳しようとしていることには、誰も疑問を抱かない。

「結局金でしょ?」「物買って、幸せになろうよ!」

駅前に星の数ほどある広告が、そうささやく。
気が狂いそうだ。


仏教には「生老病死」という教えがある。人は生まれたら必ず老い、病気になり、そして死ぬという苦しみがある。その苦をなんとかする為に、どうすれば良いかを釈尊(仏陀)は考え、悩み、思慮の果てに悟りを開かれた。
でも、それからウン千年たった今も、僕らは同じように悩み、苦しみを抱えて生きている。

僕は仏教徒。
南無阿弥陀仏(無数のいのち、ありがとう<簡略解説>)と口に出すことで、なんとか安心を保とうと、日々悶々としている。

生きることは、HOW TOではない。「お札を買えば、大丈夫」とか「お清めすれば、幸せになれる」なんてことは、嘘だ。


幸せに生きたい。
世界中の誰もがそう願う。
人として「ちゃんと生き」そして「ちゃんと死ぬ」。
その願いをもつ人間は、何を拠り所にしているのか。


資本主義を妄信する社会。
「この国を、(みんなが幸せになれるように)こうしたい!」
そう思える人がいるのだろうか。